Irrational Universe

この素晴しく不条理な宇宙について

Category: 不条理

複雑さのレベル

## 山本矩一郎先生でも

高校・浪人時代と山本矩一郎先生の数学を受講してました。

山本先生はまぎれもない天才の一人で、本を1冊書いて
間違いが一つもないという人でした。私もその域に達したいですが、
日暮れて道遠し。

山本先生の数学の教え方というのは、やっぱり独特で、
といってもたぶん普通に見ただけでは別段変わったところは
ありません。親切だし、わかりやすい。

ただ「簡明さ」を好んでいました。答案では説明しなくていい、
というのが持論で、勢い答案は数式だけになる。でも
それで出題者は問題がわかっていて回答しているのか、そうで
ないのかわかる、ということだったんじゃないかと思います。

だから講義をしている時に書く数式は最初は初心者がわかる
ように、わかりやすく書きます。そして解いて終わりじゃない。
答えが出て終わりじゃない。答えが出てから問題や答案を
見直します。答えがわかったから見えた部分を解説したりします。

もしかしたらここからが山本先生が独特なところかもしれません。
自分で書いたくせに「これは当たり前だからいらないよね?」とか
言いながらどんどん答案から行を消していく。わたしの友達の
話ではどんどん消していって最後に答えしか残らなくなった
ときがあったらしい。

普通の先生なら答えしか書いてないなら駄目っていうだろうけど、
山本先生は「『答えを求めよ』って書いてあるから『答え』だけで
いいんだよ」っていうようなことを言って次の問題に進んだそうです。
知らない人には丁寧に説明しないといけないけど、「出題者」と
「採点者」は問題を熟知しているわけだから、説明無用、最短で
書かないと時間が足りない、ということのようでした。

そして山本先生はわたしたちにとって難しい問題でも算数みたいに
解きました。
「1+2=3」簡単だよね? 「部分積分」? 簡単だよね?
みたいに区別がない。「数学上の事実」というのがあって、
それを基にすれば説明なんかしなくても、こうなるんだから
しょうがない、みたいな感じでした。

そうなんです。「定理」とか「公式」というものを魔法の杖のように
振り回したり、それに数値を放り込めば終わりなんてことは
しないんです。
使わないというんじゃないんだけど、それはすごく具体的なもの
っていう感じなんです。「1+2=3」みたいに。

でもあるとき気付いたんです。山本先生でも手短に済ませることの
できない問題とそうでない問題があるということを。
手短な問題は単純、そうでない問題は複雑。

それは一般的に言って難しいから複雑であるとは言えないけど、
やっぱり複雑な問題は難しいことが多い。

その辺からわたしは「複雑さ」というものに興味を持つように
なりました。「複雑系」? なんかあれは私の興味と違うようなので
読んだことはないです。でもまた最近本が出てますね。

## 複雑さのレベル

そして山本先生が書いていたことなどを読んで「複雑さ」にも
レベルがあるということも感じました。

たとえば「左に曲る」よりも「左に曲ってもう一度左に曲る」
というのは複雑さが上になります。そしてそれよりも
「左に曲って右に曲る」というのは複雑さが上になります。

で思うのは問題の「複雑さのレベルは変えられない」んじゃないか
ということです。だから山本先生でも全ての問題を手短には
できない。

わたしは卑怯ですね。高校数学の問題を勝手に一般化している。
ただ高校数学は一般的な問題の極めて限定されたモデルかもしれません。

「複雑な問題は単純な問題の組み合わせ」だという人もいます。
でもそれは既知の問題について言えることで、未知の問題に
ついては組み合わされているかどうかはわからない。
単純な問題同士が相互に干渉していたら? それだけで複雑な問題。
複雑さのレベルが1上がりますね。未知の問題ならそれ以上。

かといってやるんだったら「単純な問題の組み合わせ」だと
祈って解決を試みるしかないでしょう。

## だから何?

ということが何に役立つのかわかりません。遺憾なことに
わたしの大学受験には役立ちませんでした。

ただ思うことは「あるレベルの複雑な問題を解決できれば
それと同レベルの複雑な問題は解決できる」「あるレベル
の複雑な問題を解決できてもそれより複雑な問題は解決できない」
「簡単に解決できた問題は本質的に単純だった」などということです。

ここで言う「複雑な問題」というのは「難しい問題」とは
違います。

「難しい問題」というのは「手間がかかる」「本質的に無理」
「情報が少ない」「情報が不確か」「慣れていない」などなど
いろいろあります。

どれも解決するのは難しい。でもそれが「複雑」かと言えば
どうもそれは「複雑」とは別の次元にあるのではないかと思います。
というか「複雑」のほうが別の次元にあるのだと思います。

何が「複雑」を解決するのか。「偶然の発見」か「強引な飛躍」、
「過剰な類推」などではないかと思っています。いずれにせよ
暴力的な手段です。

靴下に関する2つのアルゴリズム

以下の2つのアルゴリズムは独力で考案したものだが、
自由に使用・改変・配布・放送・上演・出版等して構わない。
著者への連絡も不要である。

## ペアリング

特に男性に多いと思うが、洗濯した靴下のどれとどれを
一緒にするのか(ペアリング)が難しいという問題がある。男性の靴下は
黒が多いので、区別が付きにくい。かつての上司は

> 「同じ靴下だけにするのが男の夢ですね」

と仰っていた。あまり大きな夢ではないと思うが、
それは問題ではない。

この「靴下ペアリング問題」を解決するアルゴリズムを考案した。

1. 一見してペアにできる靴下をペアにする。カジュアルな靴下は
かなりこの段階でペアにできる。
1. 次に靴下の特徴を覚えておいて、それを元にペアリングする。たとえば口のゴムが強力なタイプ、編み方が独特なタイプなどなど。ここをうまくやれば終了なのだが、それだけでは終わらないのが世の常なのである。
1. 残ったものの中でほとんど違いがなければそれを強制的にペアにしてしまう。一見して違うものは残す。
1. 残ったものは洗濯物かごに戻す。たぶん来週あたり相方が現われるに違いない。

このアルゴリズムのポイントは3.の「ほとんど違いがないものを強制的にペアにする」ことである。

最初は違和感があるが、よく考えてみると見て違いがないならそれは同じとしても問題ないのである。確かに色落ちが違うとか、ほつれ具合が違うなどの気になる点はあるが、それは経年劣化によるものであり、不可抗力である。一見して大して違いがないならそれは同じと見なしてよく、もっと言えば同じなのである。

一見して違うのならそれは片方が部屋のどこかにあるということだから、洗濯物かごに戻して部屋の掃除でもするのがよかろう。

## ハンギング

こちらは厳密に言えばアルゴリズムではないが、通念に反する思考であるから、記載しておく。

社会通念ではリスクを低減する一つの方法として「分散させる」という
やり方がある。

資産を現金・株・不動産に分散するとか、社長と副社長は別々の飛行機で移動する、通帳とハンコは別の場所にしまうなどである。

靴下を干すときにはこの「分散させる」という戦略を取ると却って
リスクが増大するのである。

たとえば4つの違う靴下を2つのハンガーに分けて干すとする。
便宜的に右靴下を右のハンガーに、左靴下を左ハンガーに干すとする。
この場合右のハンガーが風で飛ばされて行方不明になってしまった
場合、靴下の損失は4足になる。

しかし靴下をあらかじめペアにしておいてペア1とペア2を右のハンガーに、ペア3とペア4を左のハンガーに干しておけば、右のハンガーが行方不明になったとしても損失は2足で済むのである。

もちろん分散させておいても上述のペアリングアルゴリズムを使えば多少損失を低減させることができるが、それでもあらかじめペアリングして干しておく以上のリスクは残る(同等にさえならない)。

デジタルデータの場合など複製しておくことが可能なものならばこのパラドックスは起きない。起きることがありうるのは箸、スーツなどの物体であり、2パーツ以上ないと意味をなさないものである。これらは可能な限り1つのものとして扱わないと紛失時のリスクが高まる。

箸やスーツを1つのものとして扱うことは手間を少々掛ければ可能だが、靴下は一遍に洗ってしまうことが少なくない。
事実上靴下のみがこのパラドックスを起こすというのが現時点でのかりそめの結論である。

インチキ商売の効用

## 水素の粉末

写真でしかないが、私は室温で粉末の水素を見たことがある。
たぶんこれを水に混ぜて飲むと体内の活性酸素を減らして
くれる効能があるということなのだろうと思う。

しかし水素化合物と書けば問題もなかろうに水素とは。

このように、特に水に関するものについてはインチキ商売が多い。
やれ波動だとかやれπなんとかだとドクターなんとかだとか
古来から種は尽きない。中には本当のものもあるかもしれないが
いくらなんでも粉末水素についてはインチキだろう。

## 偏見からの脱出

世間と同じように、私もこの種の商売についてうさんくさいもの
だと感じていた。消費者の無知に付けこんで売り付けるものだと
思っていた。

しかしながら、アルバイトをして考えが変わった。

ある物流会社のアルバイトで水に関するあやしげな商品の梱包を
手伝ったのである。

何人もの人が丁寧に封入物を配置して、ご挨拶の紙を載せて
箱に詰めて、ビニールでラッピングする。そしてカートに
載せて配送業者に引き渡す。

つまりこのインチキ商品(と断言してしまっていいのかわからないが)は
物流業者と配送業者の仕事を作り、雇用を生み出しているのである。

もちろん印刷業者、ビニール業者その他さまざまな業種の
仕事を作っている訳でもある。

そして買っている人が満足しているのだったら、おそらく
体には害はないだろうから、みんなハッピーではないか。
そう思うようになったのである。

## アベノミクス第3の矢

この種の詐欺的な商売については正業と思われないことが多い。
科学的根拠がないとか価格が不当に高いとかなんとか文句がつけられる。

でもそんなに排斥すべきものなのだろうかと思う。

危険ドラッグの類いやマルチまがい商法については規制がかかる
べきだろうとは思う。

しかし悪影響が特にないインチキ商品というのはそう偏見の眼で
見ることもないのではなかろうか。

無知に付け込んでいるわけではあるが、人間の欲望を満たして
おり、喜んで買ってくれる商品を企画しているだけでなく、
現に雇用を生み出しているのである。

ここにある種の(本当にある種の)ヒントがあるように思う。

アベノミクス第3の矢というのは、たとえインチキ商品であろうと、
人間の欲望を満たす商品の開発というのが何にも増して
重要な鍵を握っていると思える。成長戦略というが結局
何かが売れるということである。

本当にインチキならば自然と淘汰される。インチキだろうと
なんだろうと喜んで買う、喜んで投資する商品の開発について
国から指導されることなどなく民間は本腰を入れるべきだと思う。

腹筋運動が1回もできなくなっていた

## やせたい…

先日健康診断の結果が返ってきました。若いころは異常なし、
ばかりだったのですが、寄る年波にはあらがえず、異常項目が
増えてきました。

それもそうですが、私は太っているので、なにはともあれやせたい。

メタボには100%該当しています。ただやせても筋肉が
衰えたら意味がない。あくまでも内臓脂肪を主とした減量で
ないといけませんね。

とりあえず腹筋運動でもやってみるか、と思い、試してみたのですが、
驚いたことに1回もできませんでした。自分でも驚きました。

なんか腹が邪魔して起き上がれないんですね。いや、その腹を
なんとかしたいから腹筋運動をするのですが、腹が邪魔する。
二律背反。違うか。二律腹反か。

あと腹筋運動のコツを忘れたような感じです。力を入れるべき
ところに入らず、入れなくてもいいところが力んでいる。
まあ気長にトライしていくつもりです。いつかはできるように
なるでしょう。

今腕立て伏せを試してみたら3回できました。こっちは少しマシですね。

## なぜやせたいのか

でもなぜやせたいのでしょうか。色気付いてきたのでしょうか。

理由はいくつかあります。

一番の理由はかっこいい洋服が着たいからです。J.PRESSや
TAKEO KIKUCHI、MEN’S BIGIなどの服を着ようとしたら、
標準体型か少しやせぎみでないとサイズがないのです。

お直しするにも限界があります。今のままの体型だと
洋服の青山か紳士服のコナカなどでなくてはサイズがありません。

じゃあなぜかっこいい洋服が着たいのかというと、めちゃモテ
委員長になりたいわけじゃなくて、今の手持ちの洋服の
質が悪いのに我慢がならなくなったからです。
手持ちの洋服が限界を迎えてきて、更改の時期になったと
言ってもいいかもしれません。

意外や意外。私は帰ったらスーツやジャケットにブラシを
掛けるんですよ。普通やるよ、と言えばそれまでです。が、私がやる
というのは想像できないと思います。自分でも不思議ですが、
それはやるんですよね。洋服を長く持たせたいという合理的な理由も
あります。昔は靴もブラッシングしてシューキーパーを入れて
ました。今もやろうと思えばできるんですが、ちょっとそこまで
元気ない。不思議な線引き。

あとはやっぱり健康のためですね。数値でも若干出ましたが、
糖尿病の傾向があります。既にジュース類を飲むのを止めました。
シュークリームもアイスクリームも止めました。

やっぱり糖尿病は嫌ですよ。私はガンより嫌ですね。
糖尿病は合併症も多いし、そうなると手が付けられない。もし
目が見えなくなったら目の前が真っ暗になります。(お約束)

それと似た理由ですが、どうも私は長生きしそうな気がして
きたんですね。長生きするにはやせていないと悲惨です。
病気は多くなるし足腰に負担がくる。今のうちから
やせていかないと健康な人生をまっとうすることができないからです。

## 結論

やせたい。ラジオ体操もやろうかな。ラジオ深夜便も聞こうかな。
(←それは違う)

水泳もいいんですよね。一時期ジムに通いましたが、確かに
やせる。しかも私は顔やせしたので、女子にうらやましがられました。
それに色白だしね。(関係ない)

下ネタの封印

## 主文

これからはこのブログでは下ネタを封印します。
過去のものについてはほとんどを非公開にしました。

## 理由

おっさんが下ネタを書くとキモいから、だそうです。

## 理念と挫折

このブログはこの宇宙の不条理さについて世に問うている
ブログなんです。読む人がどう思おうと世界に向けて発信しています。

私自身は下ネタは嫌いではありません。よくできた下ネタは
笑えるし、頭の刺激にもなります。

しかし、おっさんが書くとキモい。そして私は下ネタを書くのが
それほど上手なわけではない。ということで封印することにしました。

それはこの宇宙の不条理さの一部について言及することを
止めることになりますが、キモいならしょうがない。苦渋の決断です。

## 結構楽しみだったんですけど…

それはそれとして水原さんのことなんか書くのが楽しみだったので、
ちょっと残念ではあります。

どこか匿名のブログにでも書こうかと思っています。

あれは3行で要約できるようなことなんですが、最初に3行で
書かれても何のことやら、になってしまいます。

具体的な描写を積み重ねて、最後に到達した心境までを描き
たかったわけです。そして3行の要約を見ると、その要約が
決して抽象的なものではなく、具体性を持って理解できるような
ものにしたかったわけです。

## 語り得ぬものについては…

哲学者ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙せざるを
得ない」という有名な言葉があります。確かにその通りです。

ではその「語り得ぬもの」とは何か? という問いが当然のごとく
浮かび上がってきます。

つまり「語り得ぬもの」が何かということを発見するためには、
「語り得るもの」についてはどんどん語っていって、その限界を
発見するというアプローチがありうるというのが私の理解です。

科学哲学者マイケル・ポランニーが提唱した暗黙知、今では
経営層でも使うほど広まっています。暗黙知についても様々な
理解がありうるでしょうが、人間は自分が知っている以上のことを
知っていて、それは言語化されていない、と理解しています。
個人が単に秘匿しているノウハウとは次元が違うのです。

強引ですが、暗黙知は「語り得ぬもの」と向きが違うだけで
似たようなものと思っています。
ちなみにマイケル・ポランニーの著書は『暗黙知の次元』というもので、
ここで書けるような簡単な話ではありません。私は読んだのですが、
ころっと忘れています。まあ暗黙知にも次元があるんだよ、
表面的な暗黙知もあれば、暗黙知とも認識されない暗黙知もある、
といったところなんじゃないでしょうか…。

結局のところ言語化されていないものについては「言語化されていない」
、ということで思考停止するのではなく、言語化していくしかない。

というのが私が25年くらい前に栗本慎一郎の著書から学んだことです。

## このブログに自主規制が加わるわけで…

このブログでも「不条理」について似たようなアプローチを
していくつもりです。

宇宙というのは本質的に不条理なものだと思います。しかし
不条理な中にも物理法則で表わせるようなものもあるわけで、
まったくパターンがない、というわけではありません。

そもそも生物というのが不条理に反している存在です。
エントロピーの原理に反しています。

そして人間はその上に「社会」という虚構を作り、
条理を強いています。そしてその条理に反しているものを
「不条理」と言います。しかしその不条理は条理を元にした
不条理であって、人間が理解も認識もできないような
「不条理」ではありません。

人間が理解も認識もできない「不条理」というものがあるのか。
私はあるという立場です。そしてそれは言語化できるものか。
できないものが多いが言語化していくしかない。そもそも
言語というのものは表現のためのツールでありながら、人間の思考に
良く言って枠組み、悪く言えば足かせとなるものですから、
そういったツールに縛られている以上、最初から負け戦であることは
明白です。

言語という自己規制に加えて、下ネタ禁止という自己規制も
加わります。語り得ぬ対象が狭くなるのは残念ではありますが、
語るべき対象は非常に広大です。

今後も世界に向けて「不条理」について問うて行きたい。
今はそんな気持ちです。

年配の方

## アルバイトの集合場所で

やっぱりワタナベ姓は多いものです。アルバイトの集合場所で
私ではない、若いワタナベさんがまだ来ていなかったのです。

そこである人が事務所に電話で連絡したのですが、事務所では
ワタナベが二人いるので、どちらが来ているのか確認したようです。

そしてその人は「(来ているのは)年配の方です」って答えてました。

地味に大ショック。若いワタナベさんと並んでいて、
「年配の方」と言われるならしょうがないです。
でも一人だけなのに突然「年配」って言われるなんて。

そこは「私より年上の人です」みたいな表現をしてほしかった
ですね。まだ若いつもりでいるんだから。

## サバ読みの失敗

ビックカメラのパソコン売り場で若い店員の女の子と雑談に
なりました。その子は東京に住んだことがあるようで、
大阪なんか嫌だから東京に戻りたいと言っていました。
熊本出身のくせに。

で、私が今住んでいる建物は古いという話になりました。
「1980年築かな。私が生まれる前なんだけどさ」とさらっと
サバを読んだのですが、「ぷっ」と笑われてしまいました。

「信じるところだった」とのこと。やっぱり10歳サバを読むのは
無理なようです。

ということは、34歳には見えないということですね。40歳なら
大丈夫かな、などと考えてしまいました。自分では気だけは若いん
ですよね。

## ハゲてきた

長らくフサフサだった髪の毛ですが、一時
抜け毛がひどかったです。最近はあまり抜けなくなりましたが、
随分と髪のボリュームが減りました。

私はハゲることに関してそれほど気にしていません。もっと抜ければ
気にするよ、という意見もあると思います。

そうかもしれません。でも
一つには鬱が軽快してきたのではないかと思うからです。
鬱の人でハゲている人は少ないように感じています。
ハゲた人で鬱の人は少ない、と言ったほうがいいかもしれません。
心療内科ではハゲた人が少ないのです。鬱が軽快するのと
引き換えにハゲるなら、ハゲたほうがいい。そう思います。

もう一つはこれからの後半生でやりたいことの中で、
ハゲが障害になる、ハゲたからできない、というものがないことです。
たとえばハゲたって、ドバイに万博を見に行けないわけでは
ありません。オープンソースに貢献するのにハゲていても支障は
ありません。ハゲたってボランティアはできます。

ということでハゲることに対してそれほど抵抗はないつもりです。
でもハゲたら「年配の方」という呼ばれかたを素直に受け入れようと
思います。

## 「教授」

アルバイトで働いている同い歳の女性から「教授」と呼ばれました。
「なんか教授っぽい」というのが理由だそうです。こんな覇気のない、
しょぼくれた教授なんかいないよ。どうせならプロフェッサーと
呼んでくれと思います。

その人は奈美悦子に似ているので、対抗して「えっちゃん」と
呼んでいるのですが、本人は気付いているのかどうか。

で、どこに教授らしさがあるのかしら、などと思いながら、
はっと気付いたのが、このブログでコンピュータサイエンスの
講義を立案していることでした。えっちゃんがそのことを
知る由もないのですが、
自分で教授になりきったことをしているので苦笑してしまいました。

まあ教授に見えるなら若く見えるわけはないわね。

## ガンジーでも助走つけて殴るレベル

という表現が流行って? いるようです(たぶん2ちゃんねる
だけでの流行)。

私が好きなガンジーの名言は

> 明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。

です。さすがマハトマ。この2文の組み合わせが実にいい。
とくに「永遠に生きると思って学びなさい」はなかなか言える
言葉ではありません。

「教授」としては是非学生に紹介したい名言であります。

まあマハトマは弁護士でもあるそうで、その点では多少割り引く
必要があるのかもしれません。相反することを言うのは人の心に
訴えかけやすいところがあります。

占い師の常套手段に「あなたは人付き合いがよいけれども、心の
中では孤独を追い求めている」とか、「あなたは外見にコンプレックスが
あるようだけれども、
内面には美しいものがある」などというものがあります。
そうすると聞いた人は「当っている」と思ってくれるそうです。
両天秤というかアービトラージというか矛盾というか。

> 理性は合理を求め、本能は矛盾を求める

というのは今作りましたが、名言としては60点くらいですね。

それはそれとして、「本能が矛盾を求める」としたらそれは
このブログにふさわしく不条理であり、私が愛するものであります。

フェルマーの原理

## 光は最小時間の経路を通る

フェルマーの原理というのがあります。光は最小時間の経路を
通るというものです。私はとくにこれに疑問を持ちませんでした。

私は大学受験で浪人して東進ハイスクール藤沢校というところに
通いました。そこですごい数学の先生に出会いました。水谷一先生
です。天才性は山本矩一郎先生にはちょっと劣りますが、頭の
回転の速さはすごいものがありました。水谷一先生は論文がちょっとだけ
遅れたので、賞を逃したとのことでした。それで予備校の先生なんか
やっているということでした。

ちなみに水谷一先生は私の顔を知っている
唯一の予備校の先生です。卒業後、戸塚で偶然すれ違った時、
にこにこして手を振ってくれました。嬉しかったです。

それはそれとして。

水谷一先生が授業中言ったことで

> 「私は物理が信用できない。光が最小時間の経路を通るなんて
どうしてわかるんだろう」

というのがずっと気になっていました。これはフェルマーの原理、
というんだそうですね。

坂間師に言わせれば「原理」というものは「仮定」である。ただし、
よく検証された仮定であり、これを認めることで現象をうまく説明
することができるから「原理」としているものである。もしそれが
説明できるのならばそれは「定理」となる。とでも仰られるように
思います。

つまり「原理」はフィクションなのです。でも「原理」を認める
ことで現象をうまく説明できて、辻褄があって、建物を建てたり
できるので、フィクションとせず「原理」というのです。

さて、ここから頭がおかしい理論タイムです。

光が最小時間の経路を通るのは、光よりも速い通信手段があるから
です。最もコストの小さい経路を通るのだと思います。ただ通ってみて
決めるのではなく、事前に速い通信手段を利用して、経路を決定
するのです。

つまりビットの世界(メタ宇宙)を仮定すれば、フェルマーの原理は
当然になるのです。(当然、というのは強引ですけれどもね。)

ミッキーマウス理論

## ミッキーマウスは世界でただ一匹

どこかで読んだ話ですが、ミッキーマウスは世界中の
ディズニーランドにいるのではなく、たとえば東京
ディズニーランドにいれば、香港のディズニーランドにはいない
そうです。

というか、ミッキーマウスを出現させる時間が決まっていて、
それに合わせて各ディズニーランドにミッキーマウスを登場
させるわけですね。ミッキーマウスは世界でただ1匹という
唯一性が担保されるわけです。

これを可能にするには、ミッキーマウスが瞬間移動できれば
いいのですが、それは難しい。

となるとミッキーマウスの複製を作っておいて、
移動手段より速い通信手段を使うことで、可能にするわけです。
「こっちのミッキーマウスは隠れたから、そっちのミッキーマウスは
出てもいいよ」というわけです。

# 電車の安全運行

話は変わりますが、電車が安全に運行できるのも、
電車より速い通信手段があるからです。

電車よりも速く通信することで、踏切を開け閉めしたり、
追突したりしないようにできます。

電車と同じ速度で通信することしかできなかったら、
安全な運行を実現することはできません。
走らせてみないとわからないんじゃ困ります。

# 秩序の形成のために

強引な論理展開ではありますが、二つの話に共通するのは
実際に物事が起こるよりも速い通信手段があるからできる
話です。

エドワード・フレドキンは宇宙は巨大なコンピュータと
考えていて、ライフゲームのように事象が展開していくと
主張していました。ライフゲームがぴんとこない人は
漸化式のようなものだと思うとよいと思います。一般解のない
漸化式は順番に計算していくことでしか、値を求めることが
できません。

「神様だって未来のことはわからないんだ。1ビット1ビット
やってみるしかない」

確かに現実世界ではこの見解は正しいと私は思います。

でも現実世界に秩序や構造をもたらすには「それよりも速い通信手段」が
必要ではないかと考えます。

現実世界では光が一番速いわけですが、光が進むよりも
速い通信手段があるから、光はまっすぐ進むことができます。

この速い通信手段は現実世界には存在しません。
現実世界を支えるメタ世界というものを考えて、そこでは
情報が瞬時に伝わり、存在の複製も可能とします。

これはミッキーマウスが世界中で唯一であることと同じです。

## 残念ながら

残念ながら人間はそのメタ世界を考えることはできても
調べたり触れたりする手段が今のところありません。

ここに書いたことが丸っきり間違いであるとも思います。
でも現実世界で解決ができないことがメタ世界を仮定すると
解決できるということはありえるのかもしれまん。

メタ世界をのぞきこむ手段を人間はそのうち見つけるのでは
ないでしょうか。

お誕生日のメッセージで

お誕生日のメッセージで「かけがえのない○○さんへ」と書いたことがあります。

もらった方はさぞ「重いメッセージだな」と思ったことでしょう。

でもそれには理由があります。

「かけがえのない」の反対は「かけがえのある」
なのかな、と思ったのでした。

無慈悲な言い方ですが、交換可能な友人もいるという訳です。

ですから○○さんには「私にとって交換可能な友人ではないですよ」ということを伝えたかったのです。

直接的な関係を離れても親しくできる友人の方々は交換可能ではないので、基本的には「かけがえのない友人」ということになります。

今は迷惑を掛けてしまっている方もいますが、
生活を立て直して、今度はその方が苦境に陥ったら
何かの形で手助けできればと思っています。

## 追伸

タッチフリックに少し近づきました。

私の考える不条理とは

私の考える不条理とは「不合理」とか「迷惑」といった意味ではありません。

むしろ「無関係」「無慈悲」といった意味です。

つまりこの世界というものは勝手にいろんなことが起こるし、実際無慈悲なもんです。

だけどその無慈悲に対抗しようとして規則を見つけ、組織を作り、人間は社会構造を作ってきました。

これが当たり前になって、社会構造の中で「不条理」といえば、「不合理」「迷惑」「不利益」などの自分に対して損だというイメージがあります。

でも根源的に宇宙とは不条理なものです。確かに宇宙飛行ができるようになりました。まあニュートンの運動の法則その他を利用したのだと思います。

でも、宇宙は人間の作った科学を理解して、運動しているわけではありません。宇宙は数式を読めないですしね。

科学はあくまでも自然環境や社会環境を理解するために人間が作ったモデルです。現実そのものではありません。

じゃあどうすべきなのか

つまり科学や社会で不条理なことが起こっても我慢すべきなのか。

私はそうは思いません。科学や社会を進歩させるべきです。

ただ根本的に宇宙は人知の及ばない不条理なところであって、個人の幸福や運動の法則など、宇宙から見れば知ったこっちゃない。そう思います。

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