## 山本矩一郎先生でも

高校・浪人時代と山本矩一郎先生の数学を受講してました。

山本先生はまぎれもない天才の一人で、本を1冊書いて
間違いが一つもないという人でした。私もその域に達したいですが、
日暮れて道遠し。

山本先生の数学の教え方というのは、やっぱり独特で、
といってもたぶん普通に見ただけでは別段変わったところは
ありません。親切だし、わかりやすい。

ただ「簡明さ」を好んでいました。答案では説明しなくていい、
というのが持論で、勢い答案は数式だけになる。でも
それで出題者は問題がわかっていて回答しているのか、そうで
ないのかわかる、ということだったんじゃないかと思います。

だから講義をしている時に書く数式は最初は初心者がわかる
ように、わかりやすく書きます。そして解いて終わりじゃない。
答えが出て終わりじゃない。答えが出てから問題や答案を
見直します。答えがわかったから見えた部分を解説したりします。

もしかしたらここからが山本先生が独特なところかもしれません。
自分で書いたくせに「これは当たり前だからいらないよね?」とか
言いながらどんどん答案から行を消していく。わたしの友達の
話ではどんどん消していって最後に答えしか残らなくなった
ときがあったらしい。

普通の先生なら答えしか書いてないなら駄目っていうだろうけど、
山本先生は「『答えを求めよ』って書いてあるから『答え』だけで
いいんだよ」っていうようなことを言って次の問題に進んだそうです。
知らない人には丁寧に説明しないといけないけど、「出題者」と
「採点者」は問題を熟知しているわけだから、説明無用、最短で
書かないと時間が足りない、ということのようでした。

そして山本先生はわたしたちにとって難しい問題でも算数みたいに
解きました。
「1+2=3」簡単だよね? 「部分積分」? 簡単だよね?
みたいに区別がない。「数学上の事実」というのがあって、
それを基にすれば説明なんかしなくても、こうなるんだから
しょうがない、みたいな感じでした。

そうなんです。「定理」とか「公式」というものを魔法の杖のように
振り回したり、それに数値を放り込めば終わりなんてことは
しないんです。
使わないというんじゃないんだけど、それはすごく具体的なもの
っていう感じなんです。「1+2=3」みたいに。

でもあるとき気付いたんです。山本先生でも手短に済ませることの
できない問題とそうでない問題があるということを。
手短な問題は単純、そうでない問題は複雑。

それは一般的に言って難しいから複雑であるとは言えないけど、
やっぱり複雑な問題は難しいことが多い。

その辺からわたしは「複雑さ」というものに興味を持つように
なりました。「複雑系」? なんかあれは私の興味と違うようなので
読んだことはないです。でもまた最近本が出てますね。

## 複雑さのレベル

そして山本先生が書いていたことなどを読んで「複雑さ」にも
レベルがあるということも感じました。

たとえば「左に曲る」よりも「左に曲ってもう一度左に曲る」
というのは複雑さが上になります。そしてそれよりも
「左に曲って右に曲る」というのは複雑さが上になります。

で思うのは問題の「複雑さのレベルは変えられない」んじゃないか
ということです。だから山本先生でも全ての問題を手短には
できない。

わたしは卑怯ですね。高校数学の問題を勝手に一般化している。
ただ高校数学は一般的な問題の極めて限定されたモデルかもしれません。

「複雑な問題は単純な問題の組み合わせ」だという人もいます。
でもそれは既知の問題について言えることで、未知の問題に
ついては組み合わされているかどうかはわからない。
単純な問題同士が相互に干渉していたら? それだけで複雑な問題。
複雑さのレベルが1上がりますね。未知の問題ならそれ以上。

かといってやるんだったら「単純な問題の組み合わせ」だと
祈って解決を試みるしかないでしょう。

## だから何?

ということが何に役立つのかわかりません。遺憾なことに
わたしの大学受験には役立ちませんでした。

ただ思うことは「あるレベルの複雑な問題を解決できれば
それと同レベルの複雑な問題は解決できる」「あるレベル
の複雑な問題を解決できてもそれより複雑な問題は解決できない」
「簡単に解決できた問題は本質的に単純だった」などということです。

ここで言う「複雑な問題」というのは「難しい問題」とは
違います。

「難しい問題」というのは「手間がかかる」「本質的に無理」
「情報が少ない」「情報が不確か」「慣れていない」などなど
いろいろあります。

どれも解決するのは難しい。でもそれが「複雑」かと言えば
どうもそれは「複雑」とは別の次元にあるのではないかと思います。
というか「複雑」のほうが別の次元にあるのだと思います。

何が「複雑」を解決するのか。「偶然の発見」か「強引な飛躍」、
「過剰な類推」などではないかと思っています。いずれにせよ
暴力的な手段です。