## 5/2〜5/6は毎日ブログを書く予定です

奇跡的に5/2〜5/6は休みなので、日頃書きたかったことを
ブログに書いていきたいと思います。とくに予定がないですからね。

本当は毎日ブログを書きたいのです。でもいろいろあってね…。

ハロプロメンバーもブログを書いています。学校にレッスンに
リハーサルに忙しいのに。まったくもって尊敬します。

私はこのごろハロプロメンバーを同士として見ていることに
気が付きました。アイドルや親目線ではなく同士。

モーニング娘。の名曲、『恋愛レボリューション21』の歌詞に

〽恋もして(Woo Baby)
仕事して(Woo Baby)
歴史きざんだ地球

というのがありますが、正にそれ。恋は私はしていませんが、
まあいろいろ日々のよしなしごとにかまけているわけで、その点で
ハロプロメンバーと同じように歴史を刻んでいるわけです。
勝手に同士感を感じています。

そしてハロプロメンバーはその寸暇に毎日のようにブログを書く。これは
私ができていないことです。
同士として5/2〜5/6だけは毎日ブログを書いてみようかと思って
いるところです。

『恋愛レボリューション21』は同じく名曲の『LOVEマシーン』
よりも、より名曲だと思います。モーニング娘。といえばラブマですが、
恋レボにもスポットライトがあたってもいいと思っています。
ちなみに『恋のダンスサイト』は駄曲です。恋ダンと略され、それだけは似ていますが。

タイトルの「至上の人生」は椎名林檎の最近の曲です。
まあそれほどいい曲とも思いませんが、椎名林檎は私にとって女神なので。

## 享年51

私の母が肺癌で死んだのは満年齢で51歳です。その当時から早死にだとは
言われていました。今私は44歳ですが、あと7年で死んでしまうと考えると
複雑な心境です。

ということで私の年譜を作ってみることにしました。

## 悲惨な年譜

0歳: 横浜の外れに生まれる。横浜とは名ばかりの田舎。戸塚区の辺境であり
チベットよりも田舎。スラムといってもいいほど周囲は低賃金の労働者家庭ばかり。
父親は中卒の溶接工、母は高卒の専業主婦。
後にわかったことだが父はバツイチであった。つまり母は後妻にあたる。

幼稚園: 理由は不明だが非常に遠い幼稚園に通う。母の意向らしい。
健脚はこの当時から鍛えられたのかもしれない。入園式で泣く。

小学校: 地元の公立小学校に入学。1年生のときに鉄棒から落ちて
右肘を複雑骨折。入院生活を送る。現在でも右肘が十分に曲がらない。
4年生から6年生までミニバスケットボール
クラブに加入させられる。もともとスポーツに不向きであったが、この辛い体験により
スポーツや体育会系が嫌いになる。
3年生のときに父が塵肺で療養のため入院。無職となる。母は保険の外交員となるが、
家計の足しにはならず。父の年金で細々と暮す。

中学校: 地元の公立中学校に入学。順当に中二病にかかり、人生をはかなむ。
当然部活動には加入せず、毎日まっすぐ家に帰っては、横になり「疲れた」
といって過ごす。この時に精神疾患の可能性に気付いていれば、その後の
人生も違っていたかもしれない。ちなみに診察した医者は気付いていた。
しかし学のない両親には伝わらなかった。ただわかっていたとしても
その当時の医学的知見や中学生という子供であったことであるからして
打つ手があったかはわからない。(子供の精神疾患の治療は非常に難しい)

高校: 地元の公立高校に入学。勉強をしているつもりで遊んでいた。
入学直後から母が体調を崩し闘病生活を支えるため頻繁に見舞いに行く。
母は2年生のとき肺癌で死去。より人生をはかなむ。
大学入試には当然失敗し、浪人する。

浪人: 祖母が痴呆症になる。父は無職。母は死去したところ。妹は家出。私は浪人。
一家離散のような状態といっても過言ではない。盲腸にかかり二度目の
入院生活を送る。

大学: 地元の新設の私立大学に入学。第一志望の大学を壮大にすべって
海のものとも山のものともつかないキャンパスに通学(確かに山の
中にあり、海にも比較的近い)。授業よりもコンピュータに没頭する。
あとパチンコにも酒にも没頭していた。必修語学を落としていたので、
卒業できるかあやぶまれた。

就職活動: 就職資料が届かず、就職への関心が高まらず。そもそも
単位が足りるか卒業できるかが心配事だった。第一志望の計測器メーカには
不採用。就職担当の教授のツテで電話会社の子会社に内定。資本金は
5億にも満たず、売上高は100億に達していない中小企業だった。

入社後: 父の病状が悪くなり、配置転換を願い出る。毎日のように
見舞いに行き、洗濯物などを持ち帰り、洗って届ける。3年目に父が死去する。
祖母は特別養護老人ホームの入所待ちで入院生活を送る。入院費用の
支払いを兼ねて毎週病院へ見舞う。

父の死去後は糸が切れたように放蕩生活を送る。妹からは金の無心が
毎日のようにあり、しかたなく応じていた。これが借金となる。

何回か配置転換があり、営業職で精神疾患を発病。休職する。
復帰後も4年ほどで再発。休職したあと退職する。

現在: 家賃4万円の賃貸住宅で細々と生活している。病状は薬を飲んでいるので
かろうじて安定している。個人再生をして借金の返済中。

## しかしながら楽しい人生

書けば悲惨で一顧だにする価値もない人生です。しかしながら私はそれなりに
楽しく人生を送ってきました。これは言い訳でも後付けの理由でもないです。

父とは終始よい関係でした。浪人した年は字で書けば悲惨ですが、
私にとっては一番楽しい一年でした。意外に思えるかもしれませんが、父とは
くだらないことを言いあって笑って過していたのです。辛い時に笑って過した
ロシア人ジョークというのでもありません。爽快に笑って過していたのです。

今書いて思うのですが、両親は本当に苦労したのだと思います。馬鹿息子は
その苦労を知りもせず幸せだったと書いているわけです。とは言え、
父も母も苦労だけの人生ではなかったと思います。この辺についても
書ける時期があれば書くかもしれません。短く言うと父は遊びの達人、
小さなことでも楽しみを見つける達人でした。母は理想的な母親、家事全般に
通じて子供のためだけに生きるような人でした。二人ともそれなりに
満足した人生を送ったのではないかと思います。母は早く死にすぎたと
思いますが。

あとは私は友人や周りの人に恵まれていました。その方々との
交遊の中で楽しく暮してこられたのだと思います。

## 今日の幸せ

ハロプロメンバーの宮本佳林ちゃんがブログの最後に「今日の幸せ」という
ほほえましいコーナーを作って、幸せをおすそわけしてくれています。

ちなみに宮本佳林ちゃんは「ちゃんさん」と呼ばれることがあります。
「佳林ちゃん」と呼ばれていたのですが、年上なのに後輩のハロプロメンバーが
「佳林ちゃんさん」と呼んで、それから「佳林」が取れて「ちゃんさん」になったのでした。

さて今日の幸せ

明日冷蔵庫が届きます。

明日の幸せじゃねーか!